第171回「3Dプリンターの底力㊥ – 避けたい最盛期での突然死」
Thursday September 19th, 2013
今、世界の3Dプリンターは米国勢に押しまくられている。それどころかメイカーボット・インダストリーズ社などは、価格がわずか1400ドル(約14万円)のデスクトップ型3Dスキャナー「デジタイザー」を発表、世間を驚かせた。3Dプリンターの運用にはそれに投入するCAD・CAM設計データやスキャナーからのデータが必要だが、同社はスキャナーから簡単に3Dデータ・ファイルが作成できる製品を打ち出してきた。更に、興味があるのは、このデジタイザー同社の3Dプリンター「レプリケーター」ばかりでなく、他社の3Dプリンターにも接続、出力できるという点である。シェア拡大の目玉を狙っているのだ。家庭や個人でのデスクトップ・ファクトリーで、安価に試作、生産も夢ではなくなってきた。“一匹狼工場主”の実現である。
ところで、光造形3Dプリンターで思い出されるのは、わが国にあった、(株)インクスという会社である。2009年民事再生法を申請して倒産したが、なんと居た場所は東京のど真ん中、東京駅前の新丸ビルであった。ここの豪華な3つのフロアを占めていたのだが、リーマン・ショックで2007年末まで3期続けてきた100億円の売り上げが一挙に27.8%ダウン、2桁あった営業利益も10億円の損失に転落、インクス自体も賃料月間約1億700万円と言われた新丸ビルから消えていった。
同社の設立は1990年。社長がデトロイトで見た光造形機に感激、帰国後3D-CAMからデータで部品を作り出す立体プリンターを作り出した。更にこれをベースに3Dデータから自動的に金型を生産する「型CAD」を提案。職人芸が不要で期間も早いと注目を浴びた。短サイクルのモデル・チェンジに最適とあって、携帯向け3D金型が急伸する。
1990年、神奈川サイエンス・パーク(KSP)で旗上げした同社は、2006年には長野県茅野市に大型部品も生産可能な無人ライン工場を建設、運用するまでになった。新丸ビルへの移転はその翌年であった。だが好事魔多し、60%を占めていた自動車関連受注がリーマン・ショックで揺らぐことになってしまう。
ここで残念なのは、自社製品が売れ始めた途端、それを将来へと延長して、豪華な自社ビルを手当て、結局は見果てぬ夢に陥ったベンチャー企業が多いことである。筆者の知っている最盛期での突然死はこのような例が多い。
融資を行う銀行側も問題があって、担保価値の大きい不動産を無理しても入手させようとする。貸して買わせて担保に入れさせるというのであるから、銀行側では往復の儲けになる。複雑な製品の一体成形と言えば、古くからロスト・ワックス法があり、かつて神奈川ではこれで成功への一歩をつかんだのはいいが、いい気になって自社ビルまで建ててしまった、結果は全てがおじゃん。本社ビルなどいくら立派でも少しもカネを稼ぎ出してはくれない点をベンチャー各自しっかり胸の中に受け止めておくべきであろう。
それにしても巨大な3Dプリンター市場を前にしての日本の迷走は、情けないを通り越して涙が出てくる。
(多摩大学名誉教授 那野比古)