第99回「利用価値が大きかった米80年代のミューチュアル・クラブ」
Thursday May 17th, 2012
去る3月、テキサス州で全世界からベンチャー企業が集う「サウス・バイ・ウエスト」大会(SXSW)が開かれたが、この元になるのは古く80年代、米西海岸のミューチュアル・クラブの連合体を目指したものだといわれている。
70年代後半から80年代にかけて、米国ベンチャー輩出のメッカであるシリコンバレーなどでは、自然発生的にベンチャー企業を中心としたミューチュアル・クラブがいくつも出現した。資金はベンチャー成功者や、あるいはクラブ・メンバーが共同で出した。
クラブといってもこれは同業有志で作った一種の飲み屋で立派な施設ではない。長老用にソファが1セット程度ある以外はすべてバー。円卓もバー付き立ち呑みだ。
ここに夕方になるとベンチャー経営者たちが集まってくる。このクラブは彼らにとって素晴らしく機能をしていたからだ。
筆者は87年頃にカリフォルニア州・パルアルトにあったあるミューチュアル・クラブで耳にした会話を思い出してみた。
「CADの技術者が欲しいんだが、キミの会社のS君を引き抜いていいかね」
「急にカネに困っちゃってね。私の工場の半分を従業員ごと買ってくれないか」
「今回このように絶対にゆるまないボルトを開発した。どうだい、使ってくれないか」(実物を見せることができるのが、ネットと大きな違い)
「キミのところはIPOを狙っているそうだが、先輩として資本政策の立案に力を貸すよ。ただし有料だぞ。報酬はキミの会社の株式でいいよ」
「実は今回、キミの会社が持つあの特許技術をぜひ使わせて欲しいんだ。いくらで手を打ってもらえるかな」(企業同志では、しばしば大問題。訴訟にまで発展するケースが多い特許問題も、内輪でまとめられる利点は極めて大きい。日米間などでは、どうしても角が立ってしまう)。
「当社の社長が急死してしまった。後継してくれる人はいないかな?」
といった具合で、話の中身は様々。いずれも同業あるいは類似業種同志の企業でないと廻らない話ばかりで、この点は、かつてわが国を席巻した異業種企業による交流会(代表例は、故長州一二神奈川県知事の音頭による「ラドック」)がほとんど成果を上げず、単なるサロンに終わってしまったのとは対照的だ。
マイクロコンピューターが工業製品への普及期に入った際、マイコン応用製品開発の際に便利とされた「インサーキット・エミュレーター」。これは前述のミューチュアル・クラブの話し合いの中から生まれたという説がある。
このクラブには、ベンチャー経営者ばかりでなく、ベンチャー企業の力を借りたいインテルのようなハイテク企業、出資先を探しているファンドの運用者なども情報収集のために顔を出しており、これが別の方向での実務につながるケースも少なくない。
類似業種の集まりだけに、ターゲットが決まると行動も速い。インサーキット・エミュレーターの場合、マイコン動作のためのソフトウェアの開発(当時はアセンブラー)、各種設定、回路設計、基盤製作、シャーシ、製品デザインなど様々なベンチャー企業が関連した。マイコン応用システムの開発は、システムハウスという新しいタイプのベンチャー企業を生み出している。
システムハウスといえば、わが国でシステムハウス工業会(現・取込みソフトウェア協会)と呼ばれる団体があり、有志が米国を真似てミューチュアル・クラブを作ったことがある。だが場所が銀座。単価が高く、わざわざ遠くまで出かけるとあって評判はよくなかった。
ミューチュアル・クラブ成功のカギは、ベンチャー集積の中央にあることが重要なようである。
(多摩大学名誉教授 那野比古)