第98回「趣味と実益を兼ねた新しいタイプの投資クラブ現代版」
Thursday May 10th, 2012
昭和50年から60年代、街には商店店主などによる投資クラブが盛んな時期があった。東京・下町のある商店街でも、鮮魚店、帽子屋さん、服装店などの店主5人ばかりが2週間に1度集まり、自分たちが買った株式の、今の言葉でいえばポートフォリオについて検討会を開いた。検討会といっても、メンバーの一人の飲み屋に集まり、それぞれがその間に研究して得た結論を持ち寄り、話し合い、投資計画を決めるという一種の趣味クラブで、カネ儲けのギラギラした目付きの割には切迫感は感じられない。
当時の日本経済は列島改造論の余波に乗った上昇基調にあり、このクラブの運用成績も平均すれば年間少なくとも30%と悪いものではなかった。
この投資クラブでは、投資行動には全員の賛成を必要とした。そのため、暴落が予測されていたある銘柄の信用売りに失敗、手持ち資金では足りないという事態があり、これが契機となり、しかもメンバーの1人が区議に立候補という問題もあって、この投資クラブは消滅に向かう。
結局はメンバーの手元には期待していたほどの利益は残らなかったというが、メンバーの表情には後悔の念はない。それどころか、大変な勉強、経済の実学の場であったという。新聞、雑誌の経済記事には細かく目を通すようになり、会社四季報が座右の書になった。ベンチャー企業という言葉も初めて知った。
チョウチンとは、たとえば著名な投資家などが買いなら買いを入れる動きを察知し、それに同調することで、この場合はチョウチン買いとなる。経済のトレンドが上向きの場合はチョウチンを付けるだけでも儲かった。
商店街の店主などのグループも、それなりの相場感を描くことが出来、投資グループはそれなりに趣味と実益を兼ねていた。
ベンチャーといえば、昭和33年末に東証第一部に上場を果たし、彗星の如く現れたソニー。その年の初めまでは東京通信工業(東通工)が社名で、磁気テープ・レコーダーやトランジスタ・ラジオの製品化で気を吐いた。
この東通工の株式をたった1株でも所有していたとするならば、その後の増資に応ずるなどによって、昭和50年代から60年代には“ソニー成金”といわれるほど、ひと財産を築くことができた。ソニーは日本の投資家にベンチャーに目を向けるきっかけを作り、前記の投資クラブもベンチャー企業という言葉はソニーから知った。
一転して現在を眺めると、仕組み債など極めて複雑な手法を駆使した金融商品が開発され、“胴元”は絶対に損失が避けられる仕組みが内蔵されている。
低金利で行き場を失った民間の資金が、このような金融商品に流れて、問題を起こしているケースも少なくない。
そこで、再び新たな形での投資クラブの出番である。町内、大きいとすれば区内あるいは市内で起業を果たそうとしている人たちへの応援出資を検討する。お互いに顔を知り合っているところが強みだ。ストレートに上場益を狙うのではなく、企業を育て高配当を狙うことに視点を変える必要がある。
地元産業の育成のため、区や市の単位で民と役所の新規事業室などが一体となってのベンチャー投資研究会といったものができるのもいいだろう。
ギラギラした利益ではなく、いわば小金持ちのボケ防止を地元のためにも考えるくらいの新しい投資視点が必要なのである。
(多摩大学名誉教授 那野比古)