シリコンバレー通信 Vol. 12 「イノベーション起爆剤としてのSBIR」 〜米国の国家的シードファンド〜
2015年09月15日
シリコンバレー通信Vol. 12 「イノベーション起爆剤としてのSBIR」
〜米国の国家的シードファンド〜
日本ではこのところベンチャー業界が活性化を見せつつあるが、比較的低コストで立ち上げられるウェブサービスやスマホアプリ系のベンチャーは雨後の筍のように出現してはいるものの、大きな産業や雇用を生み出すポテンシャルがある技術イノベーション型のベンチャーがなかなか創出されていないことが問題提起されている。米国ではイノベーション志向の大型ベンチャーが多数生み出され急成長し経済発展のドライバーとなっているが、その基盤として米国政府が提供するSBIR(Small Business Innovation Research, 中小企業技術革新制度)がひとつの成功要因としてあげられることが多い。SBIRは研究段階と商業化の間の「死の谷」のギャップを埋める重要な機能を果たしており、米国のイノベーションの起爆剤となっていると広く認知されている。日本版SBIRも1999年に導入されたものの、制度の枠組みに問題があり、イノベーションを生み出すような仕掛けになっていないと指摘されている。
本コラムでは、米国のSBIRの仕組み、直近の統計、資金受領者のバックグラウンド、政策効果などを俯瞰し、いかにSBIRが「米国の国家的シードファンド」としての役割を果たしているかを見た上で、日本版SBIRの問題点について提示したい。
省庁を横断する統一プラットフォーム
年間1億ドル以上の研究開発予算を持つ11の省庁が、その研究開発予算のうち2.8%(2016年度には3.0%)をSBIR に割り当て、各省庁の重点研究分野においてイノベーションを生み出す可能性がある中小企業に毎年グラントを提供している。このプログラムの取りまとめをSBA(Small Business Administration, 中小企業庁)が管理しており、統一したグラントの枠組みを提供している。
SBIRプログラムは3つのフェーズに分けられる。
- Phase1は技術的実現性を見極め、概念実証(Proof-of-Concept)をするための資金として位置づけられ、6ヶ月で15万ドル以下の資金提供となっている。2012年のPhase1の採択率は全体で16%となっており、最も競争率が高かったのは環境庁で7%、最も競争率が低かったのは国土安全保障省と国防総省で19%であった1 。
- Phase2は本格的な研究開発フェーズであり、2年間で100万ドル以下を提供する。Phase2にはPhase1を完了したチームしか応募できず、その採択率は2012年では59%であった。
- Phase3は商業ステージであり、SBIRプログラムとしてのグラント資金は提供されない。代わりに、 該当する省庁から別枠で追加の研究資金の提供を受けるか、調達契約を結ぶことになる。商業化段階の一歩として、政府が研究成果である製品やサービスの「最初の買い手」となってくれる可能性を提示している。この段階では、外部投資家からも積極的に資金調達することが前提となっている。
応募企業は、過去の採択回数に制限なく、何度でも応募することができる。例えば、Phase 1に複数回応募して複数回採択されるケースもあり、各企業の活動のステージや進捗状況にあわせて、柔軟に活用できるプログラムとなっている。
図1:米国SBIRの3つのフェーズ(出所:SBIR.govの情報をもとに作成)
SBIRの選考に漏れた応募者に対しては、各省庁がフィードバックを提供する仕組みを導入している。フィードバックの仕方は各省庁の裁量に委ねられる。フィードバックは再応募する応募者にとっては貴重な情報となり、次の応募に活かされることになる。
SBIRの拠出状況
Phase1とPhase2のグラントの総額は2012年には22億ドル(≒2,600億円。日本版SBIRとは金額が大きく違う)を超えており、グラントが帰属する省庁の割合をみると、国防総省が46%となっており約半分を占めている。それに保健福祉省とエネルギー省が続く。国防総省はその傘下にある国防高等研究計画局(DARPA)の前身であるARPAがインターネットやGPSなどのイノベーションを生み出すなど、世界に大きなインパクトをもたらすイノベーションの発信源となっている。DARPAも国防総省の一員としてSBIRの案件を一部管理している。
日本では補助金は行政の縦割り構造に基づくため、将来の出口(起業)を奨励して研究に補助金を出すと言うより、いくら補助金を付けたかと言うことが担当省庁の力のバロメーターになっている側面がある。だから実用的に役に立たなくても誰もやっていない(ほとんどニーズのない)研究にも補助金がつくことが多々ある。一旦補助金を貰うと研究者は次の補助金を貰うために研究を延長して行うというナンセンスな状況に陥っているケースが多い。
図2:SBIRグラントに占める各省庁の割合(出所:SBIR.govのデータをもとに作成)
SBIRの被採択企業の代表者のバックグラウンド
京都大学大学院の山口栄一教授は日米におけるSBIR被採択者のバックグラウンドを調査・比較した研究2 の中で、日米のSBIR被採択者の経歴分布の大きな違いがあることを指摘している。
2011年に米国のSBIR Phase 2に採択された企業の代表者1034名について、その最終学歴の学問分野を調べた結果、分かったことは、①代表者のうち約74%が博士号を取得していること、②学問分野のクラスターとしてはコア学問が一番多く、工学と医学がそれに続くこと、③その中でも、一番多い学問分野は化学(11.2%)、2番目は物理学(10.5%)であり、生命科学と生物学の和は12.4% であること、などである。
逆に、1998年から2010年に日本版SBIRで採択された企業の代表者のバックグラウンドを調べたところ、全体の7.7%しか博士号を取得しておらず、また博士のほとんどが工学博士であることが分かった。
表1は米国SBIRと日本版SBIRの被採択企業の代表者の最終学歴を比較したものであるが、日本版SBIRにおいては学部卒の代表者が実に68%以上 、中高・高専等卒の代表者も20%以上となっており、合計で88%を占めている。反対に、米国SBIRでは博士卒と修士卒の代表者をあわせると 88%となっており、いかに代表者のバックグラウンドに違いがあるかが鮮明に分かる。
表1:米国SBIRと日本版SBIRの被採択企業の代表者の最終学歴
(出所:山口栄一教授らの論文をもとに作成)
これらのデータにより、米国のSBIRは大学で生まれた最先端の知識を体系的にイノベーションに転換している一方で、日本版SBIRではそのような仕組みができておらず、以前から言われていた通り、「日本版SBIRはイノベーション政策というよりは中小企業救済策である」と揶揄されるのも否定はできない状況であることが分かる。
日本では「Improvement(改善)」が「Innovation(イノベーション)」と混同され、中小企業がベンチャーと呼ばれるところに大きな誤解の原因がある。もう一つの理由は日本ではものづくりの中にイノベーションがあると言う考えが強く、革新的アイデアよりも改良と言う発想から抜けだすことができない。このレベルの改善は博士号レベルの深い専門性を必要としない。学卒程度のレベルで十分思いつくものがほとんどである。一方で博士コースに行った人は視野が狭く多くは象牙の塔に閉じこもってしまう。それに加えて大学院コースでは起業のことを教える人もいないし履修コースもない。そのために起業に対する恐怖感(失敗を恐れる)が付きまとう。この様な現状がこの比較表の結果に繋がっているのではないだろうか。
SBIRプログラムの長期的効果
政府が主導するSBIRプログラムの政策的効果を検証した研究としては、1998年にハーバードビジネススクールのジョッシュ・ラーナー教授が発表した”The Government as Venture Capitalist: The Long-Run Impact of the SBIR Program” 3が有名である。この研究によると、SBIR採択企業と非採択企業について10年間の売上高を比較したところ、採択企業の業績の方が売上高の成長率が非常に高かったことを明らかにしている。また、京都大学大学院総合生存学館の山口栄一教授が同じ手法で日本版SBIRの評価を行ったところ、検証期間において日本はデフレや不況にあったこともあり、SBIR採択企業と非採択企業ともに売上高の成長率はマイナスであったが、成長率の落ち込み度合いについてはSBIR採択企業の方がより大きいことが分かった 4。イノベーションの商業化を促進する仕組みとして米国版SBIRが非常に有効であった一方、日本版SBIRはその目的が達せられていないことが示されている。
博士、ポスドク人材の「キャリアパス」としてのSBIR
米国では博士号取得者やポスドク人材のキャリアオプションが多様化してきている。アカデミック及びリサーチキャリアだけではなく、専門分野を武器にビジネスキャリアに転身する人もいれば、最近では特に起業を志す若きサイエンティストが増えてきている。その一つのきっかけをSBIRは提供している。 米国の大学で博士号を取得した複数のサイエンティストにヒアリングを行ったところ、(学問分野にもよるが)商業化につながりやすい分野の研究をしている学生の間ではSBIRの存在は認知されており、卒業後またはポスドク後の起業活動の第一歩としてSBIRに応募する学生は一定数いるということであった。大学側も、大学での研究の商業化促進のため、学生やファカルティに対して、SBIRに応募するためのワークショップを開催するなどサポート体制を整備している大学も多くある。
図3はイェール大学の臨床試験センターのウェブサイトに掲げられていた、所属ファカルティ及びサイエンティストのSBIR活用成功例である。このように、大学側にとっても、SBIRに採択されるような(つまりは商業化の可能性のある)知財を有しており、それを推進する人材がいることは、ひとつのアピールポイントともなっている。
図3:イェール大学の臨床試験センターにおけるSBIRの成功ストーリーについて書かれたサイト
(出所:イェール大学臨終試験センターウェブサイト)
日本版SBIRの問題点
このように政策として成功している米国SBIRと日本版SBIRを対比すると様々な課題が浮き上がってくる。以下、商業化につながるイノベーションをさらに加速させるという本来の目的を達成するために弊害となっている問題点を示した。
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米国SBIRではSBA(中小企業庁)がコーディネーターとして共通の枠組みを提供しているため、別々の省庁のSBIRグラントであっても、全て同じ枠組みにもとづいて募集がかけられるため、応募者の側からすると利用しやすい。またスタートアップ・アメリカの取り組みの一つとして、SBIR.govのウェブサイトを刷新し、SBIRグラントの共通のプラットフォームサイトが提供され、ユーザー利便性がさらに向上したと言える。日本においては、各省庁が独自の枠組みを適用しており、応募者の側からすると非常にわかりにくい仕組みになっている。
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米国SBIRは商業化へのステップとして、3つのフェーズに分けた枠組みを作っており、フェーズごとに明確なマイルストーンを決めている。日本版SBIRではNEDOが同様の段階制度を一部導入していたものの、画一的に導入されているわけではない。
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米国SBIRは商業化の第一歩として、担当省庁が自らの政府調達機会を利用して一部をSBIR被採択企業に振り分けることで、政府自身が「最初の買い手」となり、被採択企業の早期収入の基盤を提供しているが、日本版SBIRではそのような仕組みが確立されていない。
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日本版SBIRは大学等の先端研究のイノベーションが対象になっていない案件が多い。代表者のバックグラウンドを見てもわかるが、一般の中小企業の補助金的位置付けの案件が多い。
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日本版SBIRは「補助金」というイメージがあるが、米国SBIRは、そのスローガンがAmerica’s Seed Fundとされていることからも、国家をあげてイノベーションの種に投資するシードファンドであるというイメージ作りをしている。日本でもそのようなイノベーションへの投資というイメージを作り上げ、優秀な起業人材の間での認知度を上げるべきである。
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1Competitiveness, SBIR/STTRウェブサイト, 2015年8月
2山口栄一(京都大学大学院)、藤田裕二(株式会社ターンストーンリサーチ)、「SBIR被採択者の日米比較 – 日本はどこでイノベーション政策を誤ったか」(2014年10月)、研究・技術計画学会
3Lerner, Josh, The Government as Venture Capitalist: The Long-Run Impact of the SBIR program (February 1998).
4山口栄一、「科学技術イノベーション政策のための科学研究開発プログラム」、戦略的創造研究推進事業、平成25年度研究開発実施報告書
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本コラムシリーズでは、サンフランシスコのスタートアップにて事業開発に携わる筆者が、自分の意見を踏まえてシリコンバレーの起業環境・スタートアップ関連の生の情報をレポート
(吉川 絵美)