第78回「チェルノブイリ事故-「キセノン毒」(中性子喰らいのキセノン135)-」

 本欄第74回について重要な事件を追加しておかなくてはならない。

 自動車はエンジンを切っても直ぐスタートさせることができる。

 原子炉は、中に制御棒を出し入れすることによって、動作させたり停止させたりしている。

 全制御棒を原子炉に挿入して停止させたあと、自動車のエンジンと同様に即再スタートは可能なのであろうか?

 答えは否である。

 停止して10時間以上経たないと原子炉は再スタートできない。

 かつてソ連(現ロシア)では、原子炉はサモワール(湯沸かし器)と同じだと教えられていた。

 火を消してもすぐまた、点火が可能という事である。

 1986年。チェルノブイリ4号炉では、ある実験が行われていた。

 それは原子炉を停止させた時、炉内の余熱でどの程度の電力がまかなえるかというテストである。

 今回の東京電力福島第一原発の事故のように、原子炉にとって生命線である外部電源が喪失(この問題については、本欄でいく度も取り上げている)、原子炉がストップしたあと、どのくらいの電力を所内で確保できるかを知っておくことは重要である。

 チェルノブイリの技術者たちは、予定に従って制御棒を徐々に挿入。停止寸前となった段階で、電力関係者から至急の電話が入った。電力が足りないので、原子炉を完全に止めず、しばらく発電を続けてくれ、という電話であった。

 ここで停止寸前の段階、という点に注意をおいて頂きたい。

 原子炉が止まりかけた状態というのが、その後に発生する大事故にとって極めて重要な事柄なのである。

 この要請は十時間後に解除となった。が、この間出力を絞った状態が続き、実験もおよその目的を達成することができた。

 では出力を上げて元の発電状態に戻そう。そこで技術者たちは、挿入していた制御棒を上げていったが、出力は少しも上昇しない。通常運転時の制御棒レベルまであげても原子炉はほとんど反応しない。

 では、いっそのこと制御棒は全部抜いてしまえ-

 原子炉はサモワールと同じと教えられてきた技術者たちは、平然とやってのけた。

 だが、この直後、出力が急激に上り始めた。技術者たちはあわてて制御棒を入れようとしたのだが、出力の上昇に追い付かない。しかもZ-5と書かれた制御棒はどこかにつかえて炉心に入ってくれない。万事休す!出力は指数関数的に増大、ついに4号炉を溶かしてしまった。

 実はソ連の技術者たちは「キセノン毒」という現象を知らなかった。毒といっても、ここでは原子炉への毒という意味である。つまり連鎖反応に不都合な作用をする。

 炉心でウラン235が核分裂すると、テルル135という核種が生ずる。これは半減期2分でヨウド135となり、さらに同6.7時間でキセノン135へと変化していく。

 問題はこのキセノン135。この核種は連鎖反応の維持で不可欠な熱中性子のものすごい吸収体として著名。

 キセノン135がある限り、中性子はこれに吸い取られて原子炉はストップしてしまう。キセノン135は半減期9時間あまりでセリウム135へ変化していくが、この半減期プラスαの間は、原子炉内の中性子は空っぽ。いくら制御棒を引き抜いても動作はしない。

 しかしこの期間が過ぎたとたん、原子炉は普通の状態にもどり、出力は急増して元にもどる。

 チェルノブイリ事故の最大要因は技術者の無知にあった。

(多摩大学名誉教授 那野比古)