第43回「再び世界初「外部電源喪失」事故について‐原子力・安全保安院も2台以上非常用電源確保を指示」
2011年04月12日
本欄第36回の冒頭に、筆者が多摩大学で持つ講座「先端技術論」において、「外部電源喪失」は原子力発電所がもつ最大の弱点と口酸っぱく話していると書き、3重、4重の安全性が必須と指摘した。
原発の専門家たちなら当然わかっていたはず。しかし内閣府の原子力安全委員会が1990年に作成した安全設計審査指針によると、外部電源喪失について考慮の必要なしと解説されていたという。非常用ディーゼル発電機の作動を盲信していた。だがそれを主因とする初の大事故が現実に発生してしまった。
最大の弱点との認識があるのであれば、外部電源も非常用のディーゼル発電機もストップするという極めて最悪な局面を想定し、その対策を実施しておくとともに、対応を常日頃、訓練しておく必要があった。
これまでは、電気が停まった、ディーゼル・エンジンが動いた、はいOKと通りいっぺんのチェックではなかったか。それでは重大な弱点の救済には片手落ちなのだ。ディーゼル発電機も作動しないという究悪への対応が必要であった。
皮肉なことに、旧ソ連で1986年発生したチェルノブイリ事故は、このような最悪の事態に備えるための実験が、とんでもない事故へと発展してしまった。
問題は、原子炉運転停止後の炉内の余熱を利用して、どのくらいの電力が得られるかの実験であった。余熱自家発電である。余熱で発電した電気で残留熱(余熱)をどのくらい除去できるか。炉心溶融に対して、余熱をして自らを排熱せしめるというグッド・アイデアである。ただこの実験は、担当者が「キセノン毒」(毒といってもこれは原子炉内の連鎖反応を阻害するという意味)という重要な炉心挙動について常識を知らず、これが大事故への引き金となった。
原発での炉心溶融に至る大事故には大きく2つある。
①炉心の制御に失敗して連鎖反応が急峻に立ち上がり原爆と似た状態となって炉を破壊する即発型、②制御棒挿入で連鎖反応は停止しているにもかかわらず炉心冷却の失敗により余熱(崩壊熱)で炉心が溶融するジワリ型。
チェルノブイリ事故などは①に属するもので、70年代に盛んに行われた原子炉の破壊実験などでよく研究されている。ところが②についてはなぜか①ほど即危険とは見なされず、いわんや使用核燃料棒を一時保管しておく燃料プールの冷却失敗については、まったくの盲点となっていた。今回の東電福島第一原発の事故は②に属するものであった。
たしかに①のケースでは、半減期が30年と長いセシウム137についてみれば、チェルノブイリ半径30kmでは1平方メートルあたり148万ベクレルという信じがたい汚染が発生、1000km以上離れたドイツでも同7万ベクレルの高温広汚染を示した例もあった。
ちなみに今回の事故の場合は、セシウム137は茨城の多いところで4月はじめ現在2万6400ベクレル。200km以上の東京で6600ベクレルと上記に比べると少ないようにみえる。だが放射性核種の放出はこれからいつまで続くかわからない。
東日本大震災から26日後の4月7日深夜、マグニチュード(M)7.4の大きな余震が被災地を襲った。ふと頭をよぎったのは、大震災で多少はダメージを受けている東北電力の女川や東通原発は大丈夫かであった。福島第一原発の二の舞はコリゴリだからだ。幸い女川では3系統の外部電源1本が活きていたが、プール冷却装置が停止、手動での再起動に2号機では2時間近くかかった。定期点検中の東通原発でも外部電源アウトで、3台あるディーゼル発電機のうち2台は点検中で使えず、残る1台が自動的に立ち上がった。だが、これも燃料漏れでストップ。幸い直前に通電が再開されたが、東北電力では万が一に備え電源車を至急配備したという。
非常用のディーゼル発電機の設置場所も極めて重要である。東電の福島第一、第二原発は明暗を分けた。第一原発では、津波などに弱いタービル建屋内に置かれていたのに対して、第二ではより頑丈な原子炉建屋内に設置されていた。
原子力安全・保安院は3月9日、2台以上のディーゼル発電機が常に稼働できるよう保安規定を変更した。
(多摩大学名誉教授 那野比古)