コラム-明るいベルリン-

明るいベルリン

理事長

市川隆治

 

 日独産業協会30周年記念シンポジウムに出席するため、今月久しぶりにベルリンを訪れた。
久しぶりも久しぶり、最初に訪れたのは33年前の1983年である。パリ第2大学留学中に友人と連れ立ってフランスの誇る名車「ルノー5(サンク)」で西ベルリンまで旅行した。当時西ベルリンは東独の中の離れ小島であり、車で行くには東独の中の決められた高速道路しか通ってはいけなかった。西ベルリンでは地下鉄路線が一部東に出っ張ったところがあり、その駅は東西分断以後20年以上も誰も入れておらず、埃だらけであったが、電車はそのような駅を無言で通過していった。というのが当時の記憶である。チャーリーポイントで何とか東から西に渡ろうとした人々の苦心の跡も写真で見た。二重底にした車のトランクに隠れたり、車の下にしがみついたり、しかし、多くは失敗に終わったようである。

 

 2回目の訪問は、JETROストックホルム事務所長時代で、1991年である。スウェーデンに赴任した半年後の1989年11月9日の朝、所長室にスウェーデン人アシスタントが、ベルリンの壁が崩壊したと告げに来た。その前からハンガリーの西側国境に人々が大挙して押し寄せ、国境線が破られるとのニュースがあったので、ベルリンでも何か起きるかもしれないと噂されていた。西ベルリンに押し入った東の人々が最初に買ったのはバナナだったという報道は今でも覚えている。ベルリンの壁の破壊には性能の優れた日本製の建造物解体機も使われたと聞いた。

 

 そして今回の訪問。街の雰囲気は当時と比べて全体的に明るいという印象だった。夜にはカジノのネオンサインが明るく人々を誘っていた。ちょうどサッカーのヨーロッパ選手権の最中で、スポーツバーの広告が目立ったし、雑貨屋の店先に液晶テレビを置いて、道行く人々がサッカー観戦ができるようなサービスもしていた。100均ならぬ1ユーロ均の店も目に付いた。

 

 会員数1,250社を数える日独産業協会では、これまでの各業界の部会に加えてベンチャー支援を始めるということで、30周年記念シンポジウムのテーマに「起業家精神と成長-日独のベンチャー企業とエコシステム」を選んだ。投資家の観点、起業家の観点及び日独協力の可能性について日独の専門家や起業家によるパネルディスカッションを行った。日本人起業家の中には日独間のベンチャーの橋渡しをしたり、Japan Town Berlinプロジェクトを計画したり、日本酒の紹介をしたり、多士済々であった。

 

 今日、欧州各都市でベンチャー促進のイベントが行われ、都市間競争状態となっているが、その中にあって、「日独」を軸にしたベンチャー推進のプラットフォーム構築という一石を投じたシンポジウムであった。さらに同協会では恒常的なスタートアップワーキンググループを設立させるということであり、今後の活躍が期待される。それにしてもこんなに日本語のうまいドイツ人がたくさんいるとは驚きであった。日本に留学したり、日本企業で働いた経験があったり、配偶者が日本人であったり、さまざまであるが、正に日独の架け橋となるにふさわしい人たちの集まりである。