第13回「不安定より安定を選ぶ?忽然現われ忽然消えた謎の絵師『写楽』」

 VECは、八丁堀から水天宮近くに移転、2月15日から新オフィス(東京都中央区日本橋蛎殻町1-16-8 TEL:03-5640-3155)での業務を開始した。以前の八丁堀は銭形平次親分で巷間に知られているが、著名な謎の浮世絵師、写楽が住んでいたことはほとんどと知られていない。

 この写楽ほど謎に満ちた人物はそうザラにいない。どこからか彗星の如く現われ、わずか1年弱でいずれかへと消え去った。寛政6年(1794年)春から翌年正月にかけて、役者絵、相撲絵など140点あまりを矢継ぎ早に板行、その特殊な色使いと凄みのあるリアルなタッチで世間を驚かした。
写楽が開発した雪母を粉状にして用いた実にきらびやかな背景は見る人の心を把み、あっという間に大人気の浮世師の地位を確立した。ところが、それも束の間。この著名絵師は消え去るのもあっという間だった。

 写楽とは一体何者?それ以来懸命の写楽探しが始まった。幕末の1844年、やっとその正体に迫る考証成果がある学者によって発表された。それによると、写楽の素顔は、阿波藩の能役者、斉藤十郎兵衛で八丁堀の住人とされた。

 この説の裏付けが平成9年(1997年)、埼玉・熊谷市にある法光院というお寺で発見された。江戸八丁堀に住む阿波藩の斉藤十郎兵衛なる者が文政3年(1820年)58歳で死去という記録が過去帳に残されていたのである。

 ところで、写楽・十郎兵衛は何故大人気の浮世師の地位を獲得しながら忽然と消え去ったのであろうか?ここにもうひとつの謎が残る。写楽はベンチャーとして浮世絵ビジネスの立ち上げを目指しながら、将来が見えず不安定な絵師稼業を棄て、安定したお抱えの生涯を選んだと考える人も少なくない。ベンチャー企業は、経営の先行きに赤信号がともった場合、傷口を深める前に撤退の決断も重要とされる。しかし、それにしても・・・・・

(多摩大学名誉教授 那野比古)